27歳 弁護士
弁護士になって1年半が経った。
同じ司法試験に合格した同期の中で、1984年生まれは最年少だ。
一見華々しいと思われるかもしれないが、体力、フットワークの軽さ、新しいものに対応する柔軟性、知識の吸収力等を除けば、「若さ」が役に立つ場面はそう多くない。
何せ、依頼者・相談者が皆年上だ。
当然だが、自分より遥かに人生経験がある人々ばかりだ。
「若い」「女性」が対応に出てくることに驚く人も多い。
しかしそんな時こそが頑張りどころだ。
これだけは本当に、頑張るしかない。
舐められたり不安がられたりしては、仕事にならないからだ。
「舐められないこと」。「不安がらせないこと」。
この1年半で散々意識してきたことだ。
私は、ボスをはじめとするおじさま方のように恰幅がいいわけではないし、人に安心感を与えられるほどの貫禄のある顔でもないし(この歳でそうなのは逆にちょっと嫌だ。)、重厚かつ世慣れた雰囲気を漂わせているわけでもない。
しかし、年齢や性別などもはやどうしようもないことで、マイナス方向に考えても何も生まれない。
どうにかして相手が困っていることを聞き出し、弁護士として採り得る方法を考えなければならない。
そこで、
「依頼者の気持ちを汲み、共感すること」
「そのために、依頼者自身やその周辺環境をよく知ること」
「依頼者の思いを適切に表現すること」
をひとつずつ丁寧に行うよう心がけてきた。
依頼者とは頻繁にやり取りをして話を聞いたり疑問点を質問するほか、関係判例を調査したり本や雑誌等の資料を読んだり、研修会やシンポジウムに参加してみたり、必要であれば現地調査に出かけたりもする。
そしてその中で、この事件の「キモ」は何なのかを探り、戦略を立てていく。
司法修習生(見習い)時代にお世話になった弁護士が繰り返していた、
「世の中にはひとつとして同じ事件はない。」
「事件にはそれぞれにポイントがある。」
という教えは、噛み締めるほど味わい深く、一種の格言だと思っている。
また、最近、何かの折に、「女が男と同じように仕事をしても、男が一人増えるだけだ。」と誰かが語っている記事を見かけ、思わず唸った。
依頼者とやり取りをする際も、同じ女性であることから自然な感覚で理解できることが少なくない。そうして依頼者との関係を築きながら話を聴いていくと、思わぬところから重要な事実が出てくることがある。
同じように、依頼者や相手方にとっては当然のルールに染まっていないということが、事実関係の把握や事案の解決にあたって役に立つこともある。
何事も、活かしようによっては長所。
地道に経験をつみながら、その時々の自分が持っているものを十分に活かして仕事をしていこうと思う今日この頃である。
連日日付けが変わるころに事務所を出るほど仕事が立て込んでも、相手方から嫌味を言われても、依頼者からの「ありがとう。」という言葉を聞けば、疲れなどどこかへ行ってしまうし、この人のためにもっともっと頑張りたくなるのが弁護士という職業だと思う。
法廷や調停の場に立つとき、ベテラン弁護士との協議や交渉に臨むとき、若干の心細い気持ちを戒めそして支えてくれるのは、「私の後ろには依頼者(とボスの経験と事案洞察力と運)がついている。」という信頼であり、「そんな依頼者からの信頼に応えなければならない。」という使命感だ。
弁護士になって初めて勤めた事務所では、全てを事務員に任せて機械的な仕事しかできない業務体系や、業務内容や人事面での不利益を被ることが怖くて誰も上司に意見することができない特異な職場体質に失望した。
こんな思いをするために弁護士になったのではないという悔しさや情けなさや親への申し訳なさもあり、「弁護士」という肩書きを名乗るのも嫌だった。
ロースクールに進学なんてせず、司法試験なんて受けず、大学卒業後に就職すればよかったと思うことさえあった。
だからこそ、依頼者の正当な利益のためなら、裁判所や相手方から「こいつら相当しつこいなあ。」と言われてもおかしくないほど頑張る今の事務所で働けることを、とても幸せに思っている。
高校生のころ、図書室の隅でたまたま手に取った本で、世の中に法律を専門にする職業があることを知った。
それから早10年。
変化し続ける社会とともに、法律も変化を続けている。
人のために働くこと、これからの社会の変化の一端となりうるかも知れない新しい問題に取り組むことに、厳しさとやりがいを感じる日々である。
まだまだ駆け出しで、勉強することがたくさんあるが、これからの社会のニーズを探りながら、目の前にある案件に一つ一つ誠実に向き合っていきたい。
記:S.I.
↓仕事帰りの一杯(珈琲です)と休日のリフレッシュが明日への活力!