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自由に生きる現代女子を応援するリレー連載ブログ

28歳 証券会社内勤

とてもフワフワした生き方をしてきたと思っている。タンポポの綿毛のような。

少しの偶然は関係しているかもしれないけど「こうでなくてはならなかった」という必然はあまりなかった気がする。
全力で働きたいという気持ちは昔から持っているけれど、証券会社勤めが天職だと思ったことはない。(あ、転職はしました)

2000年代前半に高校生活を過ごし、2007年に新卒として中堅の証券会社に入社した。そう、別に入りたかったわけではない。たまたま英語が得意なだけで、大手の企業を受けてみたけれど、内定が取れない。

ベッドで膝を抱えて電話をしたのは親友Tだった。

「女の子は証券とITが向いているから受けてみれば?頑張っていれば割りと評価してもらえる風土みたいだし」

彼女のアドバイスもあって金融機関を受け始めた。総合職で内定がとれた証券会社で働くことに決めたけど、会社のために尽くす気持ちもなく、踏み台にしようとしか思っていない。そんなことは絶対会社に言わないけれど、年数を重ねるうちに見抜かれていたであろう。

入社して引受部門に配属された。証券会社は直接金融の機能を持ち、企業や国・自治体などの資金調達(株や債券などの形で)を手助けするのが重要な役割のひとつである。まさにこの、株や債券を発行する事務手続きを行う部署に配属されたわけだが、ほぼ毎日新規発行銘柄のリスト作り、不本意なお茶くみなどに追われ、会社が楽しいとは全然思えなかった。ネチネチした同僚にも神経をすり減らしていた。

単調な仕事ではあったが、他部署の人ともつきあいが広がり、日々作成しているリストが顧客提案資料のベースになっていると知り、少しずつやりがいも感じ始めていた。地味な仕事を継続することの難しさ、重要性を新人のうちに学べてよかったと思う。

楽しくなり始めた頃に突然の異動(サラリーマンにとってそれはいつも前触れなくやってくるものだけど)。折りしもリーマンショックと重なり、半年間社内失業のようになってしまった。これはつらい。無為に過ごすことは相当の苦痛だった。
親友Tは大手証券で機関投資家相手にセールスで大活躍している。私には何ができるの?会社を飛び出すにもまともに履歴書を埋めるだけの経験すらない。知識もない。

もう会社に頼るのをやめよう。確かに人材育成に熱心な会社だったとは言い難く、今いる大手証券会社に比べても研修やジョブローテーションの制度はお粗末だった。当時からそれは不満だったけど、それを言い訳に努力を怠っていないか。少しずつでもわからないことは勉強していけばよかったのに、私は逃げていた。

次に配属されたのは債券部外国債券課。日本国外で発行されたさまざまな発行体(国・国際機関・一般企業など)さまざまな通貨の債券を扱った。独学で証券アナリスト試験の勉強も始めた。財務・会計/証券分析/経済と幅広く学習するが、日常業務とリンクする部分も多く、面白くなっていった。業者間市場での仕入れや在庫の処分のほか、毎日支店向けに販売・買取価格の提示、販売促進用資料の作成、支店からの問い合わせ期末は全社で外国債券をはじめとする手数料厚めの商品に注力しがちなこともあり、忙しくなった。そんな中でも自分のペースを守り、テスト前は朝ファミレス/昼会議室/夜カフェの三つのうち二つは勉強するような
日々を送った。
(注:債券とは有価証券の一種で借入証書のようなもの。金利や信用力に応じて価格が変化する)

それでも一年半もすれば人間慣れてくるもので、周りを見渡す余裕も出てくる。それなりに英語で調べ物もするし、マーケットに関わる仕事は楽しくもある。自分が知識をつけていくのは時にやっかいなもので、同僚の学習意欲の低さ、勉強不足にうんざりすることも。
扱っている商品も、仕入先の外資系証券にすごく抜かれているのも心穏やかではなかった。具体的にどれだけ抜かれているかも知りようがない。
モヤモヤを感じるようになった。いつしか会社に対する不満ばかり口にするようになっていた。赤字で雀の涙のボーナス、不安定な会社の経営、前途の見えないキャリア。信頼できる人に何度も相談していたけれど、ついにキレられた。

「世間から見たらそこが君の居場所だし、正当な評価なんじゃないの?大手にいる人はもっと経験も積んで努力している」

ショックだったけど、事実だった。イヤなら自分から動かないと。もう卒業なんだ。この年次で外国債券関連の業務を三年経験し、証券アナリスト資格も取った。気がつけばいいタイミングだった。

転職活動では心が折れそうになりながらも現在勤めている大手証券に内定をもらうことができ、そろそろ一年になる。米国証券アナリスト資格(CFA)も30歳までに合格したいし、ロンドン勤務もしてみたい。今は仕組債(デリバティブを組み込んだ債券)の英文契約書をにらみながら取引内容をチェックするのが主たる業務だ。

この業界はかつて(今でもそれなりにあてはまる)三年で三割が辞め、十年で半分が辞めていくと言われてきた。
業界に足を踏み入れて五年半が過ぎた。もう少し、行けるところまで行ってみたい。

 

記:N

 

↓親友Tと先月訪れたブルガリアのリラ僧院にて。不正発覚の意味合いもあり、まとまった休みが取りやすい(取らされる?)のも証券会社のいいところ!

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